第15回 情報リテラシー論レポート

デマや詐欺と進化する技術

ネット上にデマは多い。

ツイッターは誰でも利用出来るサービスだが、誰でも利用出来るために、情報を疑える人と純真無垢なばかりに人気のツイートは無条件に信じてしまう情弱が混在している。

上記に貼ったリンクはその一例である。冷静に考えれば電子レンジでスマホが充電できるはずはない。しかし、中には悪意を持って「やってみたらできました!」などと便乗する人もいる。実際には悪意などないのかもしれないし、ガセである前提で乗っかっているという人も多いのだろうが、分母が多いためにそれをネタであると見抜けない人もまた多いのである。

これはとある実験で、1500人にウソ情報の拡散を依頼したらどうなるか?というものだ。結果は1500人を上回る4000人が拡散した。閲覧だけの人も多いから、拡散範囲はもっと広いだろう。このように、情報というのは拡散させようと思えばいくらでも拡散させることができるのである。

 

これらはまだイタズラで済む範囲のことで、不利益を被る人もいるかもしれないものの、利益を得る人はいないと言えるだろう。

しかし、ガセの情報を拡散させることで利益を得る人もいる。

まとめサイトを筆頭に、閲覧数を増やすことで広告でお金を稼ぐ人だ。

それらの人たちの一部はお金が目的で閲覧数さえ増やせれば良いので、時として正しくない情報や意図的に曲げた情報が拡散させることもある。書くと長くなってしまうし、詳細はニコニコ大百科の『はちま起稿』が詳しいのでそちらに任せる。

情報を恣意的に曲げることのメリットとして、炎上がある。いわゆる焼け太りであり、炎上すれば閲覧数が伸びるのでそれでお金を稼げる。ここでSNSが絡んでくるのだが、情報の真偽を精査できない人ほどこれらに巻き込まれてしまい、デマの拡散を手伝ってしまうどころか、それでデマを流した人の懐を潤してしまう。しかも、先ほど引用した意図的なバズりを組み合わせることによって非常に強力な拡散力を持ってしまうのだ。

最近はそのバックに企業がいたことが判明したりなど、いずれ淘汰されるのかもしれないが、情報に騙される人がいる以上いたちごっこなのかもしれない。

 

情報を疑ってかかるということは、自分で正しい情報を選び取ることにつながる。自分で情報を選び取れるということは、それを組み合わせて自分の意見を持つことができるということだ。

自分なりの意見を持って、発信する。それはデザインにも求められる姿勢である。

周りの情報や意見に流されてしまわないためにも、それを大切にしていきたい。

第14回 情報リテラシー論レポート

セキュリティとクラウド

ここでいうセキュリティとは、主にネット上のパスワードのことである。例えば電話帳などはネット上に預けておいて、スマホを買い換えた時などにSIMを入れ替えるだけですぐに同じ情報を入れることができる。あるいはGoogle、あるいはゲームの購入履歴。

ネット上とはいえデータをクラウドで預けることが多い現代、セキュリティは玄関の鍵に等しい。

 

そういった時に問題となるのが、IDとパスワードである。

一つのサービスにおいてIDは早い者勝ちであり、使おうと思ったIDがすでに使われているということは重々にしてある。中には数年以上使われていないアカウントがIDを持っているせいで取得できないという悔しい経験をした人も多いだろう。

珍しいIDを持っていると、時として非常に恐ろしい出来事に巻き込まれることさえある。

この例は稀なケースなので実際に遭遇することはまずないと思われるが、やろうと思えばセキュリティをかいくぐって本人に脅しをかけることなどは容易であるという事実には驚かされる。

少なくとも、パスワードやセキュリティを強固なものにすることは、これからの時代より一層求められていくだろう。

 

しかも、SNSがインフラとして整ったということは、使わない人が少数派ということにすらなりかねない。例えば、自分が使っていないはずのFacebookアカウントが誰かに勝手に取得されて、自分になり変わられていたら…?というのが今日の授業で取り上げられた。もはやSNSアカウントというのはネット上における個人の証明である。時に人格そのものであり、それを誰かになり変わられるというのは、人生の乗っ取りに等しい。使わなければ安全と言い切れないのだ。これからの人生を平穏に生きていくためには流行っているサービスを的確に判断し、いち早くアカウントを取得しておかなくてはならない。恐ろしい時代である。

 

セキュリティを厳重にしなくてはならないのはネット上だけではない。普段持ち歩いているスマホもまた、個人情報の塊である。昔であれば電話番号で済んだかもしれないが、今やSuicaやクレジットカードの機能を持ったものもある。財布や連絡手段など様々なものが手軽に持ち歩けるようになったということは、いざ奪われた時の損失も大きいのだ。

あらゆることがネットやスマホに預けられるようになった現代、見えない敵から身を守るために事前対策を万全にしなくてはならない。

 

第13回 情報リテラシー論レポート

・画像認識の技術と流出問題

ここ1年間で撮られた写真の枚数は、これまでの歴史の中で撮られた総数の1割にものぼるという。1割というとなんだか微妙だが、総数は3兆5000億枚、そのうち1割だから3500億枚がここ1年で撮られたということになる。

一体どうやって集計したのかは定かではないが、今やゲーム機にすらカメラが標準搭載されている時代である。ゲーム感覚でパシャパシャ撮っていればこれだけの枚数にものぼるかもしれない。

 

思えば、僕らの世代は写真と身近である。スマホは言うまでもないが、子供の頃はお下がりのガラケーで写真を撮り、お下がりのデジカメで写真を撮ってきた。ちょうど良くお下がりが手に入るという世代だったのである。(余談だが先日SDカードやパソコンを整理していたら、2009年くらいの写真がごっそり出てきて懐かしくなった。)

しかし、ただ単にお下がりが手に入った世代というだけではない。DSi3DSには標準でカメラ機能が付いていて、それを生かした遊びが最初から内蔵されているのである。本体の性能はそれほど高いわけではないものの、顔を認識して似顔絵を作成したり、写真の口が開いたり目が閉じたり表情を作ったりなどの、簡易的だが顔を認識する機能すら標準で付いている。ゲームによってはプレイヤーの顔を記録して、本人以外がプレイできないというものさえある。遊びに使うための枯れた技術として顔認識技術が搭載できるほど、顔認識というのは身近でありふれたものになっている。そして、それが直撃した世代だったのである。

 

当然スマホにはゲーム機よりも性能の高いものが搭載されている。しかも、携帯電話は今や必需品になっているために、ほぼすべての人が写真や加工に触れる機会を得たということになる。もともと慣れ親しんだ写真が、高性能で気軽に撮れるようになったのだ。そりゃ1割にもなるわけである。

 

 

今挙げたゲームの例では顔を認識してくれるというものだったが、実のところ「顔のようなパーツがおよそ並んでいれば顔と判断」するというものなので、それほど高度なものではない。

では2016年-2017年において画像認識の技術はどこまで進んでいるかといえば、

 

かざした商品の見た目を判別して検索できるアプリや、

 

スキャンしたフォントがなんという名前なのかを検索できるツールなど、

認識したものを元に既存のものを探すものがほとんどであるが、さらに進んで、

認識したものを元に新たなものを生み出す試みも行われている。画像の高画質化だ。

 

徐々に手間のかかる複雑なことを機械に任せられるようになってきたからこそ、人間だからこそ人間にしか生み出せないものを大切にしたいものである。

第12回 情報リテラシー論レポート

ラジオ離れ

ラジオ離れが進んでいるという。進むというよりは、テレビが台頭し始めた60年代からすでに衰退を始めていたようだが、インターネットやSNSの発展がより追い打ちをかけている。


http://www.hakuhodody-media.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2015/07/HDYmpnews201507071.pdf


 

驚くべきことに授業中に出てきたデータのソースがあの悪名高い『はちま起稿』だったので、今回は別のデータを引用した。正直この授業の信頼に関わりかねないレベルの事案だったが、それはこの際置いておく。今回引用したものに関してはそれなりに信頼度が高いはずである。

 

上記のデータによれば、スマホの利用時間がメディア利用時間全体の1/4に及び、1日6時間以上利用している人はスマホ利用者の半数である。メディアそのものの接触時間は横ばいなので、つまりは他が減ってスマホ利用が増えているということになる。

その中で、13%を占めていたラジオはここ10年で7%まで減少しており、分母で考えるとラジオは半分近くにまで落ち込んでいる。

 

しかし、その一方で大学生の4割はラジオを聴いているというデータもある。

先ほどのデータによるとラジオの10年間の減少率は約7%だが、テレビは約12%である。減少した数で言えばテレビの方が多いのだ。近年はテレビ離れも進んでいることから、ラジオに乗り換える大学生も意外と多いようである。NHKの受信料徴収の管轄外であるという点も大きい。

音楽などの芸術文化自体が衰退している現状を見るにラジオもテレビも共倒れになる可能性があるが、災害時に回線契約無しに情報が手にはいるという大きなメリットがあるため、仮に文化として廃れても機能としては細々残り続けて行くのだろう。

 

音声認識

音声認識技術の歴史は古く、例えば1993年発売の『ファミコン』の2コンには一定以上の音量の音を0と1で判定する程度の機能は付いているし、2004年発売の『ニンテンドーDS』ではさらに進歩して、マイクで拾った音声を識別してゲームに反映させるほどにまでなった。

授業に出てきた例としては「鼻歌による楽曲の検索」「ジェスチャーを音声に変換」などがある。

 この数十年で目覚ましいほど技術は進んでいる。その中で現在もっとも一般に普及しているものは何と言っても『Siri』だ。

キーワード検索のように単語で区切らなくても話し言葉で検索ができるというのが特徴で、それだけではなく例えばタイマーのセットだとか、今聴いている音楽の検索、目的地までの道案内なんかも音声のみで行うことができる。

 

音声認識技術を応用した例として声紋認証というものもある。

スピーカー型端末『Amazon Echo』に搭載されている人工知能『Alexa』は音声を認識して何かをすることができ、例えば電気やエアコンのオンオフを声で行うことが可能だ。その機能の一つとして、声紋認証によるドアの解除がある。例えばこれを玄関に設置すれば、鍵を忘れる心配も持ち歩くことも要らなくなるし、金庫に設置すれば自分でしか開けられない最高のセキュリティが完成する。

現段階では日本語に対応しておらず、発売日も未定であるが、これから人工知能が発展していけば可能なこともどんどん増えていくだろう。

第11回 情報リテラシー論レポート

・苦戦する紙媒体と電子書籍

 

 インターネットの発達により、相反するように新聞の発行部数が減少しているという。


http://www.soumu.go.jp/iicp/chousakenkyu/data/research/survey/telecom/2013/internet-addiction.pdf

 

リンク先:総務省 青少年のインターネット利用と依存傾向に関する調査


 

発行部数はあくまで刷った数を集計しているが、もう一つ出ているデータとして『推定読者数』がある。

本と違って新聞は回し読みをすることも多い。一家族に1部あれば十分だし、床屋などで自由に読める形で置いてあることもあるため、そう言った人たちも含めた推定である。

新聞の発行部数はインターネットの出現とほぼ同じ時期に減少に転じているが、面白いことに推定読者数はその10年ほど前から減少に向かっている。

これは単純に新聞を読まなくなったこともそうだが、一家族あたりの構成人数が減っていることも原因である。

 

新聞だけではない。少子化もあり漫画雑誌の減少も続いている。

2007年の月刊ジャンプコミックボンボンの廃刊 (休刊) を契機に、学年誌の小学5,6年生が休刊になり、その後も転がるように消えていった。

そもそも分母が違うのだから単純に減ったという話ではないが、それでも休刊せざるをえないほど発行部数が減少しているのが現実である。

 

 

そんな中、WEBコミックが誕生した。

2014年にジャンプが電子化したこともそうだが、雑誌を介さずにWEB上で連載を展開する漫画が近年増えてきたのである。

集英社の『ジャンプ+』、小学館の『マンガワン』『サンデーうぇぶり』など数多くあるが、例えば雑誌の休刊に伴って打ち切られたものをウェブで続きを掲載しているパターン、隔週連載や原稿が完成し次第掲載など、電子媒体であることを活かした様々な形式で展開されている。

 

 

しかし、電子化に伴ってネット上に不正アップロードなどの問題もある。画像である以上無限に複製が可能なこともあり、プロテクトを行ってもいたちごっこである。

自炊代行は違法であり、プロテクトの解除も違法であるが、ネットで検索すれば海外の違法漫画サイトを大量に見つけることができる。

 

これに対抗するために考えだされたのが赤松健先生の『マンガ図書館Z』だ。

前身は『絶版マンガ図書館』と言い、絶版になった漫画を中心に広告付きでマンガを掲載することで、読者は無料でマンガが楽しめ、作者は広告収入が手に入り、絶版なので出版社とも競合しないというシステムである。

現状は絶版(=出版社の管轄ではない)マンガのみであり、最新刊などは出版社側で対処しなければなないという問題もあるが、マンガ版YouTubeとしてこれから発展していくのかもしれない。

第10回 情報リテラシー論レポート

様々な動画とネット生配信

一般に、スマホは縦に持つものである。他方、パソコンの画面は基本的に横であり、テレビもまた横長が多く、ゲーム機の多くが横にボタンが付いている。

スマホで撮る写真の多くは縦位置が多く、それに比例して動画も縦で撮られることが多い。そういったこともあり、縦動画が近年普及しているようだ。

導入例としては『SnapCgat』『Periscope』『Meerkat』などがある。どれもスマホ向けアプリであり、SNSで見られることを想定しているためか再生時間は短い傾向にある。

再生時間が短いというのは、これまでの番組的な動画とは違い、いわば広告的であると言える。限られた時間の中で端的に情報を伝えなくてはならない。

せっかくなのでこの動画を例にとる。

Twitterに貼られたYoutubeリンクはTwitter上で見れず、わざわざYoutubeアプリを立ち上げなくてはならないので、あまりSNS向きではないと思うがそれはこの際置いておく。

中年男性が何の面白いコメントもせずに黙々食べているシーンというのは基本的に退屈であるが、タイムラプス動画にすることにより、テンポよく見ることができるために何とか視聴に耐えるものになっている。

師曰く「現代人は15分も動画を見続けられるほど暇じゃない」とのことだが、一方で映画やドラマが未だに話題になったり、ネット上でもゲーム実況動画が15分から30分近くあることを踏まえると、

ということになる。

 

テレビを見ながらTwitterで実況する人が多いことや、その反響を集めるランキングが存在すること、テレビ局としてもネット上でテレビの見逃し配信を行っていることなどから、長時間視聴できる人が少ないわけではないことは明らかである。

時間が固定される生放送などもネット上で盛んに行われている。ニコニコ生放送などは有名だが、スマホ1台で生配信ができるツイキャス、若い女性の多いLINE LIVEなど、むしろ暇じゃないと見れないタイプのものが非常に多いのである。FaceBookなどもネット配信が可能になったし、実況専門のOpenrecなんてものもある。近年それらのサービスが増えているということは、単純に忙しい人が多いから15分の動画を見る人はいないという問題でもないのである。

 

とはいえ、外出先で常にイヤホンを持ち歩くわけでもないので、Instagramの1分未満の無音動画は電車内で視聴することを踏まえると非常に理にかなっていると言える。これに関しては、パソコンを常に持ち歩くタイプの造形大生と、そうではない一般人とで若干傾向に差があるのかもしれない。

 

 

第9回 情報リテラシー論レポート

テレビの衰弱とメディア。

スマホの普及もあって、ネットとテレビが競合しているという。

しかし、利用時間が重なっているというのは、テレビとネットどちらかを選ばなくてはならない状況、というわけではなく、単純に同時に使っている時間も含まれている。

 

僕自身、テレビは大体ながらスマホだ。録画した番組を見ている時に聞きそびれたシーンを10秒戻したつもりが、10秒前のシーンも見覚えがないなど、スマホに集中していて番組が頭に入っていないことが結構ある。

 そのため、テレビを利用していてもちゃんと見ているかどうかは別であると言える。

 

さて、今回の授業は『テレビとメディア(ネット)』という対立軸だったが、どちらかと言えばメインはSNSと動画配信サイトの話だった。

YouTubeといえば誰もが聞いたことのあるサイトであり、テレビで「大爆笑マル秘映像」なんてものが放送されるとき、元の動画はYouTubeの既存の人気映像だったりするし、時には歌手がPVの公開先として使う時もあれば、なんでもない一般人がアホなことをして全世界に公開する場であったりもする。

そんな手軽に使われるYouTubeだから、時には映像が流出することもある。

編成が決まっていてそこの枠に合わせた形で作られるテレビ番組と違い、こういった映像は単体で公開し得るために、ネットがテレビを先取りすることもあるのだ。

 

ネットの自ら情報を発信できる特性を生かした例として、「ニンテンドーダイレクト」は有名だ。

ニュースリリース : 2012年3月16日

これは任天堂の発言が新聞メディアによってあまりにも歪んだ形で書かれたこともあり、名指しでニュースをリリースしたのち、企業自らが情報発信を始めたものである。

(第1回のアーカイブが残っていなかったので動画はニコニコ動画の非公式のもの)

プレゼンターの故・岩田社長は自身が名うてのプログラマーであったこともあり、ゲームの根本的な部分から理解しているため、濃い情報を分かりやすく発信していたという点で視聴者からも非常に評価が高い。

今取りあげた任天堂以外にも、例えばジャパネット高田やアップル社などがプレゼンの内容と同等に、プレゼンしている社長自身が親しまれているのは言うまでもないだろう。このように社長自らが商品やサービスを語れる企業は意外に少ないというが、社長の顔が見れる企業の株価は高い傾向にある。

 

大企業でなくとも、能力のある人間が自身の職業などを生かして魅力のあるコンテンツを配信することでブレイクすることもあるように、顔や声を知るということは信頼に繋がるものである。