第3回情報リテラシー論 レポート

ネットに初めて触れたのが2009年(小学生)くらいで、当時はまだメールアドレスを持っておらず、周りにSNSをやっている友達もいなかったので、主にテキストサイトやイラストサイトを巡っていた。しばらくしてツイッターが流行始めた(中学生)が、結果として2000年代初頭的なネットの使い方と、2010年代的な使い方を両方知っているという貴重な体験をしている。なんだったら中学の頃にHTMLについて少しかじってホームページを作ったりもした。そんなわけもあってホームページ特有の『あなたは〇〇人目の閲覧者です』だとか『キリ番報告』だとか『バナー画像の直リン禁止』だとかも知っているので、今回の授業は少しそこらへんのことを考えながら聞いていた。

今回の授業で検索エンジンについて見たが、そういえばアクセスを稼ぐために背景と同じ色の文字でワードが描かれているサイトは結構あった。多分だけどバナーや特定のジャンルだけをまとめたサーチエンジンサイトとかも検索エンジンが未発達だった時代の名残なのだろう。

 

しかし、ツイッターが流行ってからはそういったことがほとんど無くなってしまったように思う。ツイッター外でホームページを管理していた人やその訪問者、あるいは漫画家やそのファンがツイッターフェイスブックなどのSNSに集結している。かつて個人ホームページでイラストを掲載して、掲示板で反応を貰って…というサイクルだったものが、ツイッターフェイスブックの誕生によって、個人でサイトを設置しなくてもより直感的に反応をもらえる状況が生まれたのである。

いわば、ネットの中にネットがあるというのが現代なのではないかと思う。点と点を結ぶ線の役目を各々がやっていた時代、サイトを繋ぐのはリンク同士だったが、検索エンジンが発達してくるとそれが文字通りネットの役割を果たした。そういった点で見ると、ツイッターフェイスブックは点と線の両方を兼ねていると言える。つまり、ネットの中にネットがあるのである。

ヤフーなどが廃れてしまった理由はおそらくここにある。例えるなら、国という集まりの中の、街という集まりがそれぞれ力を持っていて、国が口出しできないといったところだろうか。コミュニティが築けるならば人はそこで事足りてしまう。もちろんたまに他の街に行くこともあるだろうが、自給自足が成り立つならば必ずしも国という母体は必要ないのである。

今後もさらにSNSは発展を続けていくだろうが、そこに検索エンジンが入り込める余地あるかについて注目していきたいと思う。