第6回 情報リテラシー論レポート

キュレーション(情報の取捨選択)の重要性。

現代は情報過多であると言われる。僕は第2回の授業でもこんなことをつぶやいていたが、

 どうやらすでになりつつあるようだ。

 

例えば本を買いたい時、ひとたびネットで調べれば膨大な量の本の情報が出てくる。例えばカメラを買いたい時、プロからアマチュアから様々な人が自分の使っているカメラへの愛を述べている。何か料理の作り方を知りたい時、同じ料理のレシピが何十個も出てきて、最終的に目分量で作った経験のある人も多いだろう。

多くの情報を得る権利を得たということは、多くの情報から必要なものを選びださなくてはならないということでもある。だが、本来得たかった情報というのは『欲しい情報』のみであり、それ以外はノイズと言ってもいい。だからこそ、現代において『欲しい情報』にすぐアクセスできるというのはとても価値のあることだ。

しかし、『欲しい情報』を持っている立場の人が多かったり、あたかもそうであるかのように振る舞う人が増えてしまうと、それはそれでノイズになる。イタチごっこである。僕は減る方向に進むことを望んでいるが、うまくいかない。だからこそ、まとめをまとめる『キュレーション』が求められているのだろう。

 

ところで、キュレーションにもいくつか種類がある。 

僕は授業中にこんなこともつぶやいた。

 

詳細はリンク先の記事に書かれているので省くが、本のタイトルを含むあらゆる情報を省き、ただ『糸井重里のオススメ本』とだけ伝えるこの情報発信の仕方は新しいキュレーションの形と言える。授業でも『1万円分の本を選んで送る』という本屋が紹介されていたが、これも上と同じような形である。

「いくつかあるものの中から良いものを厳選する」という点は共通しているが、普通のキュレーションはその中から選ぶ必要があるのに対し、この形はそれすら必要がないという違いがある。

ただし、これらの『誰かのおすすめに頼る』という手法はある種、自己選択の機会を失っているとも言える。キュレーションのみに頼ってしまうと、自分で選択できなくなるかもしれない。

だとするならば、キュレーションをする立場の人間自身に価値があると言えるのではないだろうか。